100の言葉 レッジョエミリア
ローリスマグラッツィの力強い詞の言葉「100の言葉」の本質的な意味は①子ども観 ②言語活動の対等性 ③認識活動を高めるための戦略 になります。
実はこの言葉の本質の意味は、レッジョエミリアアプローチの中の「アトリエ」と呼ばれる場所で大変生かされます。「アトリエ」は子どもたちの「探求の場所」です。その中で子どもたちは100の言葉を通して、何を大人に切望し、投げかけているのでしょうか。レッジョエミリアのアトリエリスタとして、これまで勉強してしたことを皆さんにもお伝えします。
①子ども観
子どもをどう見るかについて、ローリスマグラッツィは「冗談じゃない・百のものはここにある」と従来の教育に批判的ではありました。それは、子どもたちはガラスように弱い(守る存在)ではなく情熱・熱望をもっていて力強い存在であることを表しています。大人は子どもに教える立場でいることが多いですが、子どもから学ぶ場面というのも、振り返ればあるのではないでしょうか。大人が思いつかないような大胆なアイディア、方法を考え出したりします。子どもにとっては固定観念といわれるものをまだ持っていないため、不可能もなにもないから自由でどこまでも創造の幅を広げていけるたくましい存在なのです。同時にどんな発想も大人たちが喜び・楽しみながら一緒に開拓していける立場であるならば、子どもの可能性は無限大といえるでしょう。この子ども観にのっとって「100の言葉」を生かし、大切にしていきたいものです。
②言語活動の対等性
どんなことを大事にしているか、美しいと感じる心は子どもによってさまざまで、ささいなことに気づく心も違います。お互いの異なる心を言葉を通して、表現されることは上下関係はなく、自分の限界や、足りない部分に気づきながらも、相手の感じる美しさを感じる感性を発見し相互に影響しあい高めあう切磋琢磨できる対等な関係性がレッジョエミリアアプローチの100の言葉には示唆されています。大人が固定観念なく物事に向き合うのは、難しいことででもあります。でもそれらをひっくるめて、子どもと対話し、共同作業で探求していくその姿が本来のコミュニケーションかもしれません。
大人だから、子どもだから、先生だからではなく、一緒に見て聞いて“コミュニケーションしようと思う”心がけが、子ども同士も、大人と子供の関係も、先生と子供の関係もお互いの持っているものを、より高めていけるのです。関係性の中で生かせられる自分・個というものの存在、そして尊さを強調しているのです。
③認知活動を高めるための戦略
子ども達は日々心を大きくするだけでなく、知性=認知能力(IQ)も高めています。モノの概念や繋がりを発見しています。レッジョエミリアアプローチはピアジェの構成主義における考え方に基づいており、一方的に知識を教え込まれるのではなく、子ども本人が主体的に能動的に理解を組み立て、学習プロセスの中で多くを吸収していると捉えられます。子どもにとってはそれが正解・不正解に関わらず、自分がこれまで信じてきたものの見方が180度変容することもあります。そのきっかけを与えるのは、なんといっても“人との交流“です。そこで知り得た知識をもっと深くしりたい!という好奇心や関心が積み重なっていくと100の言葉がたくさん出てくるようになるのかもしれません。「99は奪われる」というのは、学校の決められた枠組みの中で、そういった子ども本来の主体性を奪っていないかどうかを問われています。最近では学校でも、「学習指導要綱」の改定により3つの学力の柱として主体性や好奇心といった目にみえない心の知性(EQ)非認知能力を高め、学びの質を高めようと学校も尽力しています。総じて「対話的で深い学び」は、子どもが主体的に人との交流・対話を通して自分の今ある認知をより広げ、新しいものの見方や発見を促せるような方針はだんだんと子どもの認知活動が個人のものだけでなく、周囲の影響も色濃く受けているということを私たち大人も気づきはじめている証拠でもあります。「100の言葉」はイタリア発祥ですが、日本にも徐々に今までの子どもに対する教育活動への危惧と子どもの学び活動へ新しい風を吹かせたのかもしれません。
まとめると、「100の言葉」には大人にとって子どもに向き合う姿勢が問われています。子どもの力強さを信じ、大人も子どもの言葉を聞き入れることのできる包容力をもち、交流の場における子ども主体の学習プロセスをサポートできる環境というものを用意することが、子どもの教育と成長を後押しできるものなのだということです。
以下ローリスマグラッツィ(田辺敦子訳)の「子どもたちの100の言葉」
でも100はある。こどもには100通りある。
子どもには100の言葉
100の手
100の考え
100の考え方
100いつでも100の
聞き方
驚き方、愛し方
歌ったり、理解するのに
100の喜び
発見するのに
100の世界
発明するのに
100の世界
夢見るのに
100の世界がある
子どもには
100の言葉がある(それからもっともっと)
けれど99は奪われる
学校や文化が
頭と体をバラバラにする
そして子どもに言う
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
離さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
あいしたり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ
そして子どもに言う
目の前にある世界を発見しなさい
そして100のうち
99を奪ってしまう
そして
子どもに言う
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならないものだと
つまり
100なんかないという
子どもは言う
でも、100はある。
「子どもたちの100の言葉」 レッジョ・チルドレン著・ワタリウム美術館 編より